見る(観る)

f:id:rainy6500:20180828143204j:plain観る事も見る事も好き

作者は何を伝えたくどういった感情をブチ込んで描いたのか考えながら観るのも好き

ただボーっと無意識をマッサージさせながら見るのも好き

水族館の超巨大な水槽の中で何千と居る魚を見てる(観てる)事も好き

 

 

[見る]・・・ただ単に、視界に入っている状況の事。特に何かを考えるのではグルリと見回すだけの状態


[観る]・・・視界に入っている対象物に対して、何らかの感想・印象といった自分の考え方を持つような状況の事。

という事から、作品を目にする場合、歩きながら作品を目にしていくようであれば[見る]という事になり、一つ一つの作品を立ち止まりながら目にして、その時に「色彩が綺麗だなぁ~」とか「細部まで正確に上手に描いているなぁ~」とか「何を伝えたいのかなぁ~」といったように、作品に対して何らかの自分の考えを持つ事が出来る状況であれば[観る]という事になると思います。


作品を目にしたからといって必ずしも[観る]という表現は出来ない

要するにどのような状態で目にするのか?といった事により使い方が変わる

自分が何かを目に入れる時は必ず女性と行く様にしてます、性別や生き方が全然違うので違った感受性の話がとても面白い

 

 

僕が無理を言って描いてもらった1枚を紹介したい

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後日詳しく書きたいが、とあるタイトルのゲームに本気でのめり込んだ時期が有った。

その時友人に描いてもらったイラスト

作品名は『Rainy』

素朴にどことなく遠くを見つめているようで近くを見て居て堪らなく好き

部屋に飾る位お気に入りの一枚、哀愁漂ってる

 

『画』は、自分の明確な意識が介在しない「え」の事その人の作為――「こう描けば、他人はこう見てくれるだろう」とか「誉めてもらえるように上手に描こう」などと考えないで、与えられたテーマだけに基いて描かれた「え」のことです。「夢中で描いた“え”」と言ってもいいでしょう。

『絵』は、ある目的のもとに、目的に添うように、計画的に描く「え」をいいます。仕上がりの結果を想定した上で描き始めるわけです。こちらは「冷静に描いた“え”」と言えるでしょう。一般的な絵画

 

白いキャンパスに絵の具をぶちまけた様な作品を見て一般では『こんなの俺でも描ける』と言うのが普通だが自分も同じだと思う

違う点は自分達は何の感情も無くただ単に文字や文章を「書く」の書くしか出来ず画家達は感情をブチ込めて「描く」事が出来るのだと最近になってようやく解って来た

 

単に文字や文章を「書く」感情を込めて「描く」

作品って難しい(_ _).。o○